病棟の本棚にあった。
私にも宇宙のことばかり考えていた時期があります。わりと誰しも一度はあるかと思われる。“いい”ほうの厨二病である。
その時分に言われた。
「内側より外側に興味があるんだね」
あるいはそれが決定打だったような気がする。ハルキ言いたい。
荷解きの際、そのダンボール内は漫画本でいっぱいであった。なかでも西岡兄弟には感銘を受けた。
この絵など真似したものだ。なんじゃこりゃあ!一一つい遊びすぎてしまい。次のダンボールに手を掛けようとする。否や彼の怒声が飛んだ。
「だめっ!」
ビクッとなった。段ボールに手を添えたまま私は停止した。
聞けば封印が解かれてしまうから開けてはいけないと言う。彼は黒魔術を倣っていたのだ。
それは私の黒歴史でもある。
「内側より外側に興味があるんだね」
それは呪いの言葉のように私を支配し続けた。そして今日に至るまで、私は内側、脳内により興味を持ち続けている。謎のコンプレックスである。
長じた今、どちらも同じだなとは思う。どちらを突き詰めることにも等しく価値が在るのと同じように。
「どちらも最小は“光”ではないか?」などと思いを馳せながら、考えを巡らせながら、倫理的にも技術的にも“わからない”が暫定解のこの時代に生まれたことを幸せに思う。
見えないものを信じる者こそ幸い。その言葉を信じているのである。
祈ることに意味がないと誰が言えよう。
「苦しい時の神頼み」という言葉があるように、かく言う私もあまり状態が芳しくない時に手を合わせることが多い。
「日本は平和」。皮肉よりも褒め言葉として受け取りたい。その件に関しては外側に軍配。
この幸せが続きますようにと祈る。
さもいつか終わるかのような祈り具合である。
「手と手を合わせて(Mrs. GREEN APPLE『天国』)」
祈ることはこんなにも美しい。
手と手を繋いで。感謝の祈りはとりなしの祈り。ヘイトスピーチに耳を塞ぎたくなる今日この頃です。でも大丈夫! 全部ただの癖。ごちそうさまでした。