無課金と課金。浪費と倹約。充足と欠乏。
そのむかし、あるゲームにハマっていました。イベントの始まる日付は脳内カレンダーに刻印され、ゲージの貯まる時刻にアラームをセット。勿論リセマラ済みです。
そんな私が恐れるようになったのが、“連携プレイ”系ミッションです。無課金且つぼっち且つ下手くそ、という三重苦の私のパーティーは弱小この上ありません。キャラクターは正月が過ぎてもクリスマスの衣装を着せられています。でもゲームは楽しい。無課金でも充分楽しい。
しかし事件は、ある日の連携プレイが終わった後に起こりました。皆が労いやお礼の意を表すなかに、怒っているものがひとつ。。。それは私に向かって発されたに違いありません。心中動揺する私もうゲームに身が入らない。この事件がトラウマとなり、程なくしてそのゲームブームは終息を迎えます。
虚構の世界から追放され渋々戻ってきたリア充世界。当時の私がよく口にしていたのが「無課金は去れ!」です。www。
今日初めて『グループ』を作りました。
私の周りでも、ゲームに何十万も課金したという話はちらほらあります。今となっては、あの時怒ってくれたどこかのゲーマーには感謝しかありません。
非ゲーマー且つ非リア充。
ハマったのがあのゲームじゃなくてよかった。
課金(という言葉は適切ではありませんがw)したのがブログでよかった。
ですが課金に慣れていない私です。元を取ろうと迷走。グーグルアドセンスをググりまくる。そんな私にふと聞こえてきたのが、炭治郎の言葉でした。
「人のためにすることは結局 巡り巡って自分のためにもなっているもの(吾峠呼世晴『鬼滅の刃』)」
私の目標は一冊の長編小説を書くことです。勿論グーグルアドセンスもやってみたい。グループの作成も勿論自分のため。⋯でも、“欲深い”私には及第点をあげたいw
自分がしてほしいことを人にもしましょう。
子どもの頃に教えられたことが、今も上手くできません。情けは私の為ばかり(汗)。
千里の道も一歩からなのは炭治郎も、炭治郎を描いた吾峠呼先生もおんなじだ。
ありがとうございました!