扁桃体の花言葉。

「普段何されてるんですか?」「伏線の回収をしてます。」 「⋯⋯お休みの日は何を?」「伏線の回」ブログ。#拡散希望です。

ブログ。まさに無我の境地。

先日、一ヶ月程前に作った歌詞が出てきました。趣味ですが何か(´・ω・`) ブログを始める以前のものです。

今より遥かに稚拙⋯! 今のも勿論ただただ『書きたい。』産物ではありますが、ブログの力。すぎょい。ありがとうはてなさまー! ありがとうみなさまー! 今まで上げた記事も読み直すことに。結果、不要な(と今は感じる)箇所のバルスが修正の大部分を占めました。

 

手を放す 軽くなる 満ちてゆく(藤井風『満ちてゆく』)」

 

捨てないと入ってこない。逆は、、絶対に、、、無い!(;´Д`)ハァハァ “私”からしか世界を見ることができないならば、“私”が今持ってるもののなかから捨てるほうが確かに簡単です。具体的野郎の私は殊の外です。私の世界に余剰はなく、“I see.”がキャパ100ならば、捨てなければ確かに入りまへん。

少し前に、“優先順位”を意識して断捨離したものがあります。交友関係。子どもの頃読んだ月刊少女漫画の台詞。主人公の母親の台詞でした。

 

親友は、一生に一人出来ればいいほう。

 

今になっても謎にフラバする言葉はやはり注目に値する。

 

 

過集中。発達の呼吸。言いたい。

私の場合ですが、文章を書く時、絵を描く時は、ひとつやり終えるまで尿意も意識に上れません。

 

捨てるのも存外紆余曲折はありました。発達障害の極端な性格が今回は功を奏し、“書くこと”に辿り着くことができ、“書くこと”に絞ることができました。私にとってそれは、見失っていた“自分”を見つけ出したことと同義でした。それはそれは感動の再会であります。

私事ながら“捨てる”ことは、人生を“豊か”にする最短の近道だと実感しています。暇さえあれば文作り。一人の時間はほぼそのアウトプットとインプットの繰り返しです。捨てれば捨てるほどより良くなります。捨てなければよかったものは今のところ一切無いw ガチで仙人になりたくてググったりするタイプなのでわりと沢山捨てました。捨てると勝手に向こうから入ってきます。捨てても捨てても捨て足りません。

 

書いている時はわりと無我の境地。あと三つ。極めねばならぬ。百錬自得、才気煥発、天衣無縫。⋯テニプリである。

 

謎の“スッキリ”に気が付きます。まるで“寝たあと”みたい。寝てる以外全部疲れるトイレめんどくさい一生トイレしないといけないと思うとうんざり。⋯氏にたい。的超絶ものぐさ野郎です。めっちゃうれしい⋯! 体感で、リアルガチ寝の7割くらい、実質だと3割くらい“スッキリ”。

 

思い出したのが善逸です。“我妻善逸”。(吾峠呼世晴先生『鬼滅の刃』。)

普段はヘタレ。全集中時は睡眠状態で戦います。そん時めちゃめちゃかっこいい。(寝てないのにかっこいい時ももっとかっこいい。)

 

たぶん全集中の時、扁桃体めっちゃ寝てる。不安や恐怖をしゃしゃり出してくる部位です。発達障害者の私は特に子どもの頃から、その二大巨塔には苛まれております。

 

どうしてもなんかわかんなかった瞑想(そこまでやってみてはいない)。とか、“続けてるうちに”わかってくる系(そこまで続けたのない)。

私にとってはそれが、“書いている時”。テニプリは、“テニスの試合がすごい時”。

もっと早く見つけたかったけど!w ありがとうございました!