発達障害者は感動したい。
我々の目は常に涙液を作り出していますが、所謂“涙”は、2種類あるといいます。
反射的な涙と、情動的な涙です。
前者は例えばタマネギを切った時や、花粉症の時の涙。後者は痛い、悲しい、嬉しい等感情の涙です。
「人の気持ちがわかりにくい」と時々言われる発達障害。そのことをなにかで見聞きした私。「私が“感動しい”なのは、『人の気持ちがわからない』からなのかぁ。だから必死にわかろうとしているのかなァ。」⋯いやだー!w
幼い頃、人が泣いているとつられて泣いてしまう子どもでした。茶化されて恥ずかしかったのおぼえてんねん。
ワーキングメモリ周辺が正常に機能しないというのは、「共感性」はあるが「共感力」がない、ということでもあるかと思います。
わりと急に涙が出たと感じる。自分がなぜ泣いているのかすぐにわからない。
人に対してもそうです。なんだか悲しいのはめっちゃわかる。けどなんでなのか順を追って説明しにくい。
発達障害者が苦手とする、“コミュニケーション”というもの。ノンバーバルや言外の意味。忖度、気遣い。抽象という概念の理解の不得手故に、感情の“機微”を把握するのに時間がかかる。そう、時間がかかるだけなのでございます!
ここに完璧な定型発達の人がいるとします。「1」が感情の芽生えだとして、徐々に高ぶりその終着=発露(≒爆発)を「10」とします。その人は
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10.
を理解しています。次の事象から次の事象には関連性がある。あんまびっくりしないかもしれません。
一方発達障害者です。極端に言えば
1、とんで10.
www。だから「急に怒られた!」とかなるw
何かの不足は、否が応でも他の何かを発達させます。
「10」が起こって初めて「あれが9だったのか?⋯てことはもしやあれが8? えまさかあれが2だったん!? わかんねえええええ」w。その繰り返し。「2〜9」を“実感”することはおそらく一生できません。
でも、さすがの私もタマネギの涙にはつられて泣かない(たぶんw)。
ワーキングメモリの機能不全。「2〜9」がよくわからない故に得られなかった、失ったものはもちろんあります。生まれた瞬間から人と関わらずには生きていけないこの世界。アドバンテージ低めの我々ですが、それ故に磨かれた能力も必ずあります(じゃないと生きてけねーw)。その能力こそが大げさでなく生き抜いてきた証であり、命を懸けて勝ち取った宝ONE PIECE。私は私でしかない=私が私でよかったと思えるまでがなげーw
発達障害は、わりと自覚可能な障害です。なにを自覚し、なにを自覚しないのか。そこに障害のせいではない、人格というものが隠されているように思います。自戒をこめて。w
ありがとうございました!