映画『#真相をお話しします』を観た発達障害ちゃん。
己の“負の部分”を嫌でも考えさせられる映画でした。
よい映画。(泣)
発達障害。自身の脳に偏りがあり“幼い”ことは重々承知していたものの、やはりそのコンプレックスは一朝一夕に払拭できるものではないのかもしれません。「私は私以上でもなく以下でもないのだ!」言いたい。私には劣等感は危険な気がするからです。地道に一つ一つ精進していくしかないのは『みんなおんなじ』。そんな大切なことを、すぐに忘れてしまうお調子者だからです。
バズる。考察厨。界隈。etc...
子供っぽい私は、Z世代(むしろα)中心のコンテンツに接する機会が同年代より多いと自覚します。最近それらのコンテンツの内に、アイロニーのようなものを見ることが多くなってきていると感じてはいました。それが事実が否かはひとまず置いて、そう感じるのは、他ならぬ自分自身こそが“ひねくれた大人”そのものであるからだということ。『人は鏡』。それを今一度、この映画は教えてくれました。(足を運んだ動機は完全に“巨大スクリーン大音響もっくん”であったことをここに白状します本当にありがry)
⋯イノベーター理論から拝借しますと、私はマジョリティ、それも慣れないアーリーマジョリティに居座りすぎたのかもしれません。ブログを始めたという現実はそんな私に、ラガードへの回帰を忠告してくれているようです。矛盾しているのは私がひねくれたさみしがりやだからです。スマホきらいw。でも手放せないw。太宰も青空文庫で読むw。草生やしたがるw
この時代に生まれたことの感謝もありつつ、「難儀な時代よのぅ⋯」と生きにくさを感じてしまうのは私だけではないとわかります。世界に“お金”というバーチャルがある限り、インターネットを避けては通れません。しがみつきやすいところにしがみついていくしかない!(笑)
映画『#真相をお話しします』。
私 ≒ ハッシュタグの付け方もろくにわからないワッフルワッフル。です。
「さあ考察じゃ」と意気込んでいたはずでした。出来ない(笑)。もっくん演じる“鈴木”を始めとして、とにかくみんなかわいそうすぎる。希望的観測欲で言えば(→ネタバレ注意!)集まった投げ銭でもっくん⋯じゃない、鈴木の病気治れし。
「みんなかわいそう」、それは私にとってわりと危険信号です。
ありがとうございました!
おやすみなさい。